happyness


幸せなんて届かない。この手はいつだって血で汚れていて、俺はいつだって何もかもを壊しながら生きていた。こんな力、なかったらよかったのになんて何度思っただろう。何度か、死のうと思ったことがある。といっても決して死ねはしなかったのだけど。簡単に人の命を奪えそうなナイフすらこの身体は徹さない。

だから、俺は。

薄く閉じていた目をゆっくり開けて周囲の状況を確かめる。嫌な感じに濁った空、薄暗い路地裏、周りに血まみれになった人影が、ひとつ、ふたつ、たくさん。結構重傷そうな影もいくつか見えるけど息はきっちりしているみたいだし、こいつらを差し向けた臨也が後はどうにかしてくれるだろう。死人が出て困るのは奴も同じなのだから。小さく手を振り、出来るだけ血を払い落す。ぬるりとした特有の感覚が皮膚に走って、幾滴かの赤色がアスファルトにぽとぽと落ちた。自分でも気付かないうちに吐いてた溜息は、濁った鉄錆の匂いのする空気に溶けて消えた。
コツコツコツ、そんな軽快な足音が唐突に路地裏の空気に響く。ひょいっと、まるでその辺を通りかかった一般人のような気軽さで現れたのは、黒く黒く、そして赤い――蟲野郎だ。

「相変わらず無敵だね、シズちゃんは。そろそろ死んでくれないとこっちとしても困るんだけど。君を潰すために何人の駒を送り込んだと思ってるの。本当、もう頼むから死んでって感じだよね。それで死んでくれる君じゃないのは分かってるけどさ。」
相変わらずの腹に一物抱えたような笑顔、胡散臭い、見ているだけでイライラするような。……こんな顔に騙されてしまう奴らが俺にとっては不思議でならない。首すら動かすのが面倒で俺は眼だけで臨也の顔を見た。こんなに至近距離に見たのは久しぶりだ。いつもこいつは遠くからまるで実験でも楽しむように俺が差し向けた人間どもを圧倒するのを眺めていただけだったから。
「はっ……俺の前にのこのこと現れるなんていい度胸じゃねーか、」
血にまみれた拳をもう一度握りなおす、目の前の虫けらを張り飛ばすために。その虫けらは俺を赤い眼で見遣る、その視線に込められたものは血よりもずっとずっと赤く濁った殺意と――ひとかけらの、憐憫。

「シズちゃんは可哀想だね」

その呟きは聞こえなかったことにした。こいつに可哀想と思われる心当たりは無かったし、こいつの吐く言葉にもううんざりだったということもある。だから俺は、全身全霊を込めて眼の前にいる臨也に殴りかかった。



(――でも、今なら分かる気がする。)
紫煙をゆっくり吐きだしながら、ぼーっと考えにふける。掛けたベンチは相当な年季物のようでぎしぎし悲鳴をあげている。公園に差し込む光は健全極まりない太陽の光で、ぽかぽかと身体を照らす。
多分あいつはこの力を持って生きていくしかない俺を可哀想だと言ったのだろう。死ぬことすらできず、人を愛することもできなかった俺を可哀想だと言ったのだろう。あの頃の俺がその言葉を理解出来てなくて本当に良かったと思う。そんなことを理解してしまったらきっと俺は……壊れてしまっていただろうから。

遠くからこちらへと近づいてくる足音が聞こえる。その音は軽く軽く、今にも壊れてしまいそうなほど柔らかい。短くなってきた煙草を携帯灰皿に放り込み、それから抱きついてきた茜を抱きとめた。茜は嬉しそうにこちらに無邪気な笑顔を向けている。それにつられて俺も笑った。
「やだー、静雄さんって実はロリコン?!」
「変……」
微妙にあいつに似た声がしたけど無視だ無視。
「え、なになにこれって放置プレイ?!私を興奮させてどうしようっていうの静雄さん!!抱いてっ!!」
「……落」
言いながら俺の両隣りにすわって腕を絡めてくる双子は相変わらず変な格好だ。……まぁあいつの妹なんだから多少変なのは仕方ないか。ふと冷たい視線を感じて振り向いたら、ヴァローナが険悪な目をしてこちらを見ていた。……やっぱ俺はこいつに嫌われてるんだろうか?その後ろからトムさんがゆっくり歩いてやってくるのが見えた、どうやら休憩は終わりのようだ。


(なぁ臨也、確かにあの頃の俺は可哀想だったかもしれない。)

双子の腕を払って、膝の上に乗っている茜が落ちないよう抱えながら立ち上がる。腕を払われたことが気に入らなかったのかふてた顔をした双子の頭を軽く撫でてやったら、機嫌が治ったのかにっこり笑った。その笑顔は兄のものとは全く違う無邪気な笑顔で、だから俺はこいつらを憎めないんだと思って俺もまた笑った。

(だけど俺は今、生きてて良かったと思う。お前が死んでないのに俺が死んでるってのはなんだか癪だし、それに――)

抱えていた茜をゆっくり地面に下ろすと、茜はすこし哀しそうな顔をして、それからすぐ笑顔になって俺の腰にぎゅっと抱きついた。すこしして俺を離した茜は「静雄お兄ちゃん、死なないでね」と縁起でもないことを言ってくるので頭を優しく撫でて、「俺が死ぬかよ」と返す。安心したのかまた向日葵みたいににっこり笑った茜はこれから道場へ向かうようで、双子の後を追って駆けていった。俺もトムさん達のほうに近づくと、なんだかさらに機嫌の悪くなった後輩がこちらをじとっと睨んでいる。その頭をくしゃっとあいつらにしたのと同じように撫でてやると、びっくりしたのかさっと下を向いてしまった。その様子に少し笑いながら、呆れたように「行くぞー」と言って歩を進めるトムさんの後を追う。
天気はあの日とは程遠い、快晴だった。

(――俺は今、幸せだ。)





→ Rising rain,and doesn't see rainbow. / 100316