どうなんだろう。
練習の後片付けをしながら剣城を見遣る。ボールを片付けている彼は、汗をかいたせいか立たせてある髪がいつもと比べて少しだけ大人しくなっていた。フィールドの整備を大体終えて、剣城のところへぱたぱたと走る。途中でそちらに向かう俺に気付いたようだったけど、逃げもせずかといってこちらに歩み寄るわけでもなくそのまま俺を待っていた。素直なのか素直じゃないのか。剣城らしいと思ってえへへと笑うとなんだよとそっぽを向かれた。


俺たちはフィフスセクターという、中学サッカーを支配している組織に立ち向かうことになった。それは俺としてはのぞむところで、だからそのことには後悔はしていない。だけど、時々不安になる。コーチや監督、それにレジスタンスの人達、俺達の味方は沢山いる。大人だって沢山。でも実際戦うのは俺たちで、フィールドに立ったときはいつだって俺たちは選手として1人きりで、フィフス打倒のために絶対に勝たなくちゃならない。そう思ったとき、足が竦んだ。それでも前に進めたのは、信助がいたからだと思う。フィールドでもひとりじゃないということ。そこでようやく俺は前が向けて、そこではたと思った。
剣城は、どうなんだろう。
あの、強くて恰好良くて、俺よりも大人っぽい剣城は。


「剣城はこわいって思ったことないの。」

俺はこわいよ、と続けると、剣城は目を丸くした。その剣城がいつもより幼く見えてすこしだけ驚いた。沈みかけたお日様が空を赤く染めている。
「お前でもそんなこと思うんだな。」
「うん、ちょっと今おかしいのかも。」
日暮れ時だからかな。そういって繕うように笑うと剣城は眉をしかめ何か言いたそうな顔をしていたけど、言葉が見つからなかったのか、いろんな感情が混ざってそうな溜息をひとつ吐いてから言った。

「チームの士気を下げるようなこと思える訳がないだろ。」

思ってもみなかった言葉だった。
「……すごいね剣城は。」
どう言っていいか分からなかった。だってそれは。
「……俺はシードだ。シードだった。そのぐらい出来ないでシードは務まらない。」
そう、彼は単身この学校に乗り込んできたのだ。ひとりきりで。敵だらけの中、こころをころして。夕焼けに烏が鳴く声が遠くに聞こえた。俺はなにも言えない。
だけど、と彼は続ける。
「お前はそうならなくていい。」
それは彼がお兄さんと話すときのような優しい声だった。
それから剣城はボールを倉庫にしまいに行ってしまった。俺はなにも言えなかった。


帰り道、信助と葵と別れてからとりとめもなく考える。剣城。元シードで同級生でエースストライカーで、強くて大人っぽくて分かりにくいけどいいやつ。
――剣城は、思えないと言った。思わないじゃなくて。チームの士気を下げないのは大切なことだ。心が負けてちゃ勝負にならない。だけど弱みを見せないで、ずっとひとりきりで戦って、――それって、辛くないのか。
剣城は大人っぽいんじゃない。無理して大人っぽく振る舞ってるんだ。きっとそれは彼なりの処世術なんだろう。ずっと大人に利用されて辛い役目を背負わされてきた彼の。俺が口を出せることじゃないのかもしれない。だけど、だけど。それがどうしようもなく悲しかった。


次の日はいつも通り朝から練習で、剣城もきちんと来ていた。昨日のことが気になって自然と目は剣城を追ってしまう。いつも通りのパス、いつも通りのシュート、それらを決める剣城は本当にいつも通りだった。きっと明日もいつも通りなんだろう。
ああでもどうしてだろう。なんで、悲しそうに見えるんだろう。見えないはずの傷口が見えた気がした。そこは今でも赤く切れていて、血がどくどくと流れ続けているんだ。そんなのってない、そんなのってないよ剣城。
(君は―――なんかじゃないのに。)
堅く拳を握りしめる。
(俺には見てみないふりなんてできない。)
例え触れられて痛かったとしても、きちんと治療したほうがいいに決まってる。どうして剣城は自分に打ち明けたんだろう。どうして聞かれたとき嘘を吐かなかったんだろう、そんなの決まってる。剣城だって痛いんだ、痛くて泣き叫んでいるはずなんだ。


練習が終わって片付けをして、信助や葵に断ってから剣城のところへ行く。
「ねぇ剣城、今日一緒に帰ろう!」
「はぁ?なんでお前と」
「ダメって言っても付いて帰っちゃうからね。」
押せ押せの態度で言うと、剣城は溜息を一つ吐いて、それでも何も言わなかった。許しが出たと合点して、早速荷物を持ってくる。剣城が支度をしてる間ずっと俺はそわそわしてて、きっと端から見たら変な人なんだろうなぁと自分でも思った。言いたいことは沢山あるけど上手い伝えかたが見つからなくて、どうすればいいのかが全く分からない。だけど、それでも伝えなきゃならないと思った。伝えたかったのだ。


部室を出たときにはもう辺りはとっぷりと日が暮れていて、俺たちは町の明かりを頼りに歩を進めた。頭のなかではぐるぐると伝える言葉が回っている。道中は殆ど無言で、河原岸に差し掛かったときようやく俺は口を開いた。
「剣城、ちょっとだけ特訓付き合ってもらえないかな。」


ぽーんと転がってきたボールは俺の足元でゆっくり止まった。うっすらと光る街灯の明かりが頼りの練習は到底いつもの練習には及ばなかったけれど、ちょっと話しながらするのには充分だった。
「俺、ここでいつも信助と朝練してるんだ。剣城も良かったらどう?」
「いい。」
「残念。剣城が一緒なら絶対はかどると思うんだけどなぁ。」
張り詰めたような、それでいて落ち着いたような空気が流れる。夜の河原岸は驚くほど静かだ。ボールを蹴る音がやけに響く。しばらくボールの蹴り合いを続けてから、俺はようやく言葉を選び取り、舌に乗せた。

「剣城は、強いよね。」
剣城はなにも答えない。俺の次の言葉を待っている。
「でも、もうちょっと無理しなくても、いいよ。」

そう言った途端、ばんっという音がしてお腹にボールが蹴り込まれた。そう威力は高くなかったけれど、勢いに押されて地面に尻餅を付く。腹から転がったボールを足で止め、俺を見下ろす剣城の表情は、初めて会った頃と同じだった。

「お前に何が分かる。」

冷えた目。冷えた声。ああ、でもそれってさ、つまるところそれって鎧なんだ。強がりも大人のふりもひとりきりも、その目だって声だって。

「分かんない。」

しっかりとその目を見つめて言う。逸らさない。向き合いたいと思った。

「剣城の今までは分かんない。でも過去と今は違うよ。」

手を伸ばして、立ち上がって、ぎゅうと抱きしめる。暖かかった。息をつめた剣城の耳元で、言い聞かせるように誓った。

「俺は、どんな剣城だって受け止めるよ。」
ひとりじゃ、ない。


きっと君は強いんだとおもう。だけど君はまだ弱いんだ。弱くたっていいんだよ。大丈夫。だって今君には俺がいる。イレブンがいる。ねぇ、一緒に戦うんでしょう。
「剣城の全てを知ることなんて出来ないし、きっと守るなんでおこがましいだろうけど、でも俺はっ、……剣城と一緒に戦いたい。それから、もっと力に成りたい。剣城が強いのは知ってる。だけど俺には弱さを隠さなくたっていい。だって俺たち、仲間じゃないか。」

(大丈夫だよ、君の弱さも受け止めれる。)
ありのままでいてほしいと思う。意地っ張りでプライドが高くて負けず嫌いで、それもきっと全部剣城なんだろうけど、でもふと見せる弱さを無理に隠そうとしないでいい。強がらなくていい。だって俺たちはまだ子供で、君の周りには誰もいないわけじゃない。少なくとも俺は、剣城の弱いとこも受け止められるんだから。


しばらくして、なにも言わないでぎゅうとしがみついてくる剣城に、俺はすこし微笑んで、その背をゆっくりとさする。すこし前までおおきいと思っていたそこは、今は俺と同じに見えた。いや、ずっと同じだったんだ。俺が気付かなかっただけで。不規則に動く背中に、精一杯のこころを込めて手を這わす。小さな嗚咽だけが辺りに響いている。

背中に回した手にそっと力を込めた。
(きみはひとりじゃないんだ。)



ありのままでいてほしいんだ / 111119