ただただ彼は平和を願い、その剣を宿敵の喉笛に突き刺したのでした。 宿敵の流した血は彼を指揮する王女の王国の土となり、その国の繁栄を招きました。彼は平和が手に入ったことをたいそう喜び、これからもそのために尽力していこうと思いました。彼は英雄とされ、民から愛され敬われました。しかし彼の親愛なる王女は彼のことを英雄として大切にしましたが、政治に関わらせることはありませんでした。所詮彼は英雄といってもただの平民であり、戦うことしかできない頭のわるい人間だと思っていたのです。彼はそんな王女の思惑も知らずに、ひたすらに国の復興に励みました。英雄としていくら名声を得ようとも驕らずに民のため動くその姿はとても素敵で、ますます彼は民の人気者になっていきました。これはまずい、と王女は思いました。このまま彼が民のため動きつづければいつか必ず私の地位を脅かす存在になるだろう、と。 彼が自宅で眠るように死んでしまったのはそれからまもなくのことです。民は心優しい英雄の死に嘆き悲しみました。王女の命で城の庭に大きく立派な墓が作られ、彼の葬式には国中のひとが集まりました。彼の人気をやっかんだ国に殺されたのではないか、とまことしやかに囁かれましたが、証拠はなにも無いまま、事件は闇に葬られました。 彼は目を覚まして驚きました。倒したはずの宿敵が目の前にいたからです。すぐに戦闘体制に入ろうと思いましたが、ふと宿敵が悲しそうな顔をしているのに気付きました。どうしてそんな顔をしているんだ、と彼は聞きました。宿敵は、地獄に堕ちてなお私を倒した男があの女に操られているのは見たくなかった、と答えました。宿敵のその言葉で、彼は自分の死に気付きました。そして死の直前の記憶も思い出しました。あのとき、突然王女がお忍びで尋ねてきたのです。おいしいお茶が手に入ったのでと彼女がご馳走してくれたお茶は、不思議と飲むととても眠くなって……そして気付いたらここにいたのです。自分は王女に殺されたのかと思うと彼は宿敵の前だというのに思わず泣きそうになってしまいました。あんなに必死に守ろうとしたのに、その彼女に殺されてしまうなんて。彼の心は今にも壊れそうな硝子のようでした。思わず、どうして、と呟くと、宿敵は何を当たり前のことをと鼻をならして言いました。英雄なんてそんなものだろう、戦いのときは重宝されるが戦いが終わってしまえば危険分子でしかないのだ、と。彼はその言葉にはっとしました。守ったものに裏切られることなど彼は今まで考えたこともなかったのです。彼は自分のことを希望だと思っていました。事実戦いのとき、彼は帝国に仇成す全ての人々の希望でした。勿論王女にとっても。ですが戦いが終わった今、世界を救うほどの力は、国を治めようとする彼女たちの目には脅威としか映らなかったのです。皮肉なことに、宿敵を殺したその瞬間から彼は希望ではなく倒すべき敵になってしまったのです。 愕然とする彼に宿敵は優しい憐れみの篭った声を掛けます。ここにはお前の守るべきものはない、一度死んでから私の治めるようになった地獄はお前と私の他には魔物しかおらず裏切られる心配もない、お前が望むならもう一度戦ってもいいが私からお前を襲うことはない。好きに在れ、と宿敵は慰めるように彼に言いました。彼はぽかんとした顔でそれを聞きました。彼の記憶にある宿敵はそんなことを言うようなやつではなかったのです。彼の言いたいことを察したのか宿敵は照れたように顔を背けました。本当のところ、宿敵もひとりきりでただ過ごす地獄に飽きていたのです。宿敵は地獄から現世に蘇ることができます。ですが彼が現世にいる限り蘇ったとしても世界征服などできませんし、しかし彼がいなくなった今蘇り世界を統べたとしても、なんだかそれは楽しそうに思えなかったのです。だって彼がいなくなったから支配にいく、なんて彼に負けていると自ら公言しているようなものではないですか。だから、地獄での生活がすこしでも刺激的になればと宿敵は彼に手を差し延べたのです。彼はすこし考え、それもいいなと思いました。もやもやとしている心の整理をつける時間が欲しかったのです。それに、もう死んでしまったのだからどうなってもいいという自暴自棄な考えもありました。たとえ宿敵がなにか企んでいようとも自分にはもう失うものはないのです。そして宿敵の申し出を受け、その手をとろうとしました。 ですが、そこで三人の幼馴染みのことを思い出しました。彼とともに宿敵を倒し、英雄となった三人。ここにはまだ来ていないようですが、王女が彼を殺したのならばそれも時間の問題です。大切な仲間たちを守るにはどうしたらいいか。時間が止まったかのように動きを止めた彼を不審に思い、おい、と宿敵は声を掛けました。すると、思い詰めたような彼の声が返ってきました。その声は、彼も宿敵のように地獄から蘇ることができるのか、と宿敵に問いました。宿敵は蘇りたいと言外に願う彼を意外に思いつつも(たとえ裏切られたとしても彼が蘇ってまで王女に復讐を企むとは思っていなかったのです。)、自分の力を借りればできないこともないと答えました。ならば貸してくれないか、と彼は宿敵に頭を下げました。何故、と宿敵は聞きました。宿敵はこのとき、もし彼が復讐を望むなら、王女を殺させるのもいい見物だなと考えていました。かつて国を救った英雄、それが国に牙を剥き、成すすべなく国は滅びていくなんてとても面白そうだと思ったのです。 彼は頭をあげ宿敵の目を見据えました。その目はいつかと同じように澄んで、内に強い意志を秘めていました。仲間を守りたい、と彼は言いました。自分が蘇り国に復讐すると言えば争いになる、そうすればあの3人は国に必要とされる、殺されることがなくなる、と。宿敵は少し間を空けて、あの3人がお前を倒しにきたらどうするのだと問いました。地獄を支配している宿敵はここへまた帰ってくることができますが、特別な魔力も持たぬ彼は蘇っても死んでしまえばそれで終わりなのです。あの3人に殺されるなら本望だと彼は答えました。くだらん、と宿敵は吐き捨てました。それでは結果は変わらないではないか、また平和が訪れあの3人は殺される。宿敵のその言葉に言い返すことも出来ず、彼は口惜しそうに俯きました。宿敵はそんな彼の姿を見てひとつ大きな溜息を吐き、それから言いました。仕方ない、私が共に戦ってやろう。お前を殺させはしない。あまりにも意外な申し出に彼は何も言えず宿敵の顔を穴があくほど見つめました。宿敵自身も内心自分の言ったことにとても驚いていました。自分を殺したやつを助けるなど。ですが、確かに宿敵は彼を助けたかったのです。自分を殺す程の力を持つのに、助けた者に裏切られてなお、仲間を、人間を助けようとする彼に。仲間に怨まれ蔑まれ、今までの全てを捨てることになろうと、彼らを救おうとする彼に、確かに宿敵は惹かれました。彼の決意の先にある結末を見てみたいと思ったのです。しばらくして彼はありがとう、と言って手を差し出しました。宿敵は何も言わず、ですがしっかりとその手を握りました。 王女の城を、突如現れたたつまきが襲います。不思議なことに死人は出ませんでしたが、城は木屑も同然となってしまいました。彼の幼なじみの3人もすこし離れたところでそれを見ていました。そして王女と3人は、たつまきのなかに懐かしい顔を見ます。かつて世界を脅かした宿敵の隣に立っていたのは、まぎれもないかつての英雄でした。 これでよかったのかと宿敵は彼に問います。彼はその質問には答えず、ただ静かに一筋の涙を零しました。 これから、世界は再び争いの時代を迎えました。あの3人は彼と宿敵の凶行を止めるため何度も戦いを挑みましたが、2人を倒すことはできませんでした。そして、彼ら3人と王女が老衰で死んでしまったあと、既に死んでいるため老いもせず死にもしない彼と宿敵は、突然ぷっつりと姿を消しました。悪を倒すこともなく突然訪れた平和は、英雄を生み出すことはありませんでした。彼と宿敵が今どこにいるのか、知っているひとはどこにもいません。 「酷いバットエンドだな。折角私を殺し英雄になったのに行き着いた先が知人も仲間もいない世界での私との二人旅だ。」 「いいや、ハッピーエンドだよ。だって俺はみんな守れたんだから。それと、お前との旅も悪くないさ。」 |
--end. / 110413